マクロ/ミクロマネジメント

マクロマネジメントとミクロマネジメントについて記事化しておきたいと思います。それぞれがどう違うのか、それぞれの長所短所を踏まえて私なりの解釈と意見を紹介します。働く上でマクロマネジメントが得意な上司やミクロマネジメントが得意な上司、また逆に管理される部下側にとっても働きやすいマネジメント環境があると思います。上司側でも部下側でもどちらのマネジメントの方が良いか是非考えながらご覧ください。最後に私の意見も記載しています。

ネクタイ

マネジメントとマクロ/ミクロ

まず、人に対するマネジメントという言葉は、非常に解釈が難しいですよね。「管理」という言い方ですと「監視」「束縛」のような締め付けるイメージも受けますし、「ケア」というのも緩いイメージです。私なりに一言でいえば「人の最適化と能力の最大化を図るための行動」という言い方になるでしょうか。この「行動」という言葉が重要でして…「管理」という名詞だと何もしてなくても通用してしまうので、「行動」という動的な名詞を使うことで、マネジメントが確かな業務として機能することを暗に意図しています。
というわけで、マネジメントとは「人の最適化と能力の最大化を図るための行動」と軽く定義付けした上で、以下マクロマネジメントとミクロマネジメントについて説明します。

マクロマネジメントとは

マクロマネジメントとは文字通り大局的に管理していく方法です。社員ひとりひとりのキャラクター(個人)を重要視せず、生産性と評価の基準度を設けて全体管理します。具体的には以下のような要素があります。

  • キャリアパスのフレームワーク化
  • 業務時間と生産性の定量評価とKPI
  • スキルマップによる定性評価とKPI

全体を通してキャリアパスを明確化し、設定したフレームワークを職域や特性に合わせて設定。個人に対するビジョンを明確化します。これは採用時にも明確化しておくことで入社時のズレを無くし、使用者(上司)側と労働者(部下)側が目的を握り合うのに役立ちます。とはいえ、部下側の感情は揺れ動くものですので、このビジョンにおける途中経過の感情に対してメンターがマイルストーン化して管理します。
労働時間に対する生産性は、1日を通して1人あたりどれくらい生産できたかで評価します。人によっては8時間で10個出来る人もいれば、8時間で8個しか出来ない人もいるでしょう。まずは、KPIを設けて「いつまでに」「〇時間で」「〇個できる」ようになることを基準値とし、そのうえでその達成度を評価することです。それによって、定量評価に繋がるので労働者は生産性を上げるための努力をしますし、それがいわゆる「頑張る」というやつです。ただし、この「頑張り」自体は評価対象にはならず、あくまでも「頑張り」によって得られた生産性が評価対象となります(この辺は「社会人はアウトプット型へ」で解説済)。
スキルマップによる定性評価とKPIに関しては、タレント(能力)マネジメントの世界ですね。将来的に描く(社会)人物像のために必要となる心技体やスキルに関して、クリアすべき要素をチャート化します。私の場合はマンダラートを活かして作成してもらいます。そしてチャート化したものをスキルマップという名の通信簿的な評価表に当て込み、定期的にチェックしKPIに対して定性評価する方法です。これをしっかり作り込むことで、評価だけでなく新しいプロジェクトに必要な人材を選出する上でも助けになります。「彼は他人をまとめる力があるから本件のリーダーに向いている」とか「彼女は○○方面からの信頼が厚いので本件のディレクターを任せよう」とか、客観的根拠に基づいてチームビルディングすることができます。

このように、マクロマネジメントはファクト主義と言うべきか、客観主義と言うべきか、とても公平的な要素が強いため欧米的ですし、労働者のプライベートにも一切立ち入ることがないスキームになります。一方で、承認欲求が強い労働者(いわゆる構ってちゃん)や労働過程を看てほしい労働者にとっては無機質に感じるかもしれません。例えば、精神的には未熟だけど大きな可能性を秘めている若手社員に対しては、(感情的なケアをする)メンター制度に依存する要素が強いかもしれません。
 

ミクロマネジメント

対してミクロマネジメント(マイクロマネジメント)とは、大局的ではなく局所的(日常的)に干渉するマネジメントです。昨今の働き方においては、否定的に使われがちな言葉です。個人を看ながら指示をするため、どうしても上司が部下に張り付いてマネジメントする形になります。上司は二人三脚で結果を出すために熱く指導しているつもりでも、部下からすればそれがハラスメントに感じることもあり、自主性も喪失する感情になりやすいため、一般的にはあまり好まれない傾向があります。

ただ、一方で個人の行動計画を当事者に合わせて細かく設定し、足し算的に指導することが出来るため、その方がありがたいと思う労働者もいます。マクロマネジメントが「あるべき姿」から引き算してKPIを設定するものに対して、ミクロマネジメントは「今の姿」から足し算してKPIを設定するイメージです。労働者の中には、強い自主性やビジョンが無く、また能力や年齢による劣等感もあり、相対的な評価を嫌う人もいます。そういう労働者にとっては非常にありがたいマネジメントになります。何より自分のことを充分に理解してくれる上司がいることで、感情的な部分も相談しやすい傾向にあります。上司側からすればかなりの労働工数を使用するので、1人の上司が管理できる部下も1人程度かもしれませんが、その分達成した時の感激もひとしおです。少しスクールウォーズな世界になりがちですが、上司のキャラクター(個性)次第では部下が飛躍します。

どっちが良いの?

どちらも良し悪しですが、近年では様々なハラスメント回避や透明性、客観性を求められることから、マクロマネジメントを正とする企業が大半を占めます。まぁ、実際それが出来ているかどうかは別問題ですが…。また、日本においては個人単位でミクロマネジメントになりがちだったりしています。ミクロマネジメントになりがちな要因のひとつとして、上司1を評価する上司2がマクロマネジメントできていないのが要因でしょう。上司の上司(つまり上司2)が結果(売上)だけを判断する場合、上司1は躍起になって結果を出そうとするあまり、部下をミクロマネジメントしがちになります。これが奏功するケースもあれば、反発を招くケースもあるわけです。
なので、マクロマネジメントをする場合は、しっかりとトップの使用者から労働者まで、レイヤー毎にスキーム化する必要があります。中間管理職にはマクロマネジメントを求めているのに、それより上のレイヤーはミクロマネジメントしているなんてザラにあると思います。

さて、そんなことを踏まえて私の意見ですが、立場によってマクロとミクロを使い分けるのが良いのではないかと思います。もっと言えば、原則会社単位では全てマクロマネジメント。同僚感ではミクロでコミュニケーションし合うとスムーズかな、と。ただ、非常に難しいのは同僚間に社歴による上下関係が出来てしまうなら止めたほうが良いですし、役職も何もついていないのに「お局」的に牛耳る社員がいても止めたほうが良いです。それは仮想上司となってしまうからです。モチベーションを高め合うのに、朝礼時や夕礼時等を設けて小さなMtg.を出来る範囲で同僚間でコミュニケーションを取れる環境を作れたらベストです。「今日どこまで終わった?」とか「なんでうまくいったか教えて」とか声を掛け合えるチームビルディングは最高ですね。

これをご覧になっている方々がどういう立場にあって、周囲にどういう社員がいるかに合わせて是非考えてみてはいかがでしょうか。

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