社会人はアウトプット型へ

最近、各所で新社会人や若い正社員と接する機会があります。もちろんそういうった社員は研修期間もあるかと思いますが、正直、決して若くない社会人でも「自己研鑚という目的が強すぎて、社会人本来のあるべき姿を見失っているのではないか」と感じる人もいます。そこで今回は、社会人におけるインプット型の人間とアウトプット型の人間について、持論を展開したいと思います。

インプットとアウトプット

インプットは学生まで

私はよく「インプット型人間」「アウトプット型人間」と形容したりします。インプット型人間とは「自分への知識、スキルの入力を主として考える人」であり、アウトプット型人間とは「他人や社会への様々な出力を主として考える人」と定義しています。

国民の三大義務と三大権利のひとつである「教育を受けさせる義務」「教育を受ける権利」を鑑みた上で、学生のうちは「お金を払ってインプットする」という姿勢で過ごします。ですからもちろん“自分の”テストの点数を上げたり、“自分の”知識を高めることがゴールですよね。

しかし、そのままの姿勢で社会人になってしまうと随分な勘違い人間になってしまうのです。社会人は、学生のうちに学んだことを活かして、社会の中で社会貢献をしていくことが大前提です。だから学生のうちに充分なインプットをしてきたわけです。にも関わらず、社会人になってもインプット型の人間が意外と多いのです。つまり、働くことにおいて「お金をもらってアウトプットする」という姿勢ではなく、「給料をもらっておきながらインプットし続ける」という姿勢の人です。社会や経済に対して働くことでその対価を得るのが社会人であり、お金をもらう以上アウトプットが重要なのですが、研修期間を過ぎてもインプット型で「また勉強になった」と喜ぶ人が多いのには辟易します。

社会人はアウトプット型人間になるべきだと私は強く思います。

インプット型とアウトプット型の思考の違い

経営者であれば、極端な例でインプットだけする人間とアウトプットだけする人間、どちらを社員に欲しいか?と訊かれたら後者を選択するでしょう。社会において、インプットは所詮アウトプットするための手段に過ぎませんので、結果を求めるのであれば当然アウトプットを重要視するはずです。「知ってナンボ」ではお金を生みません。経済を活性化するのは「やってナンボ」です。だから繰り返しになりますが、社会と自分の関係性を成立させられないままインプットに終始するのは間違いだと私は思います。

そして、インプット型人間は、インプットに主眼を置いているため、無意識的に自分に不都合なものを排除しようとします。インプット型人間とアウトプット型人間では以下のような違いが生じます。

インプット型の人間 アウトプット型の人間
  • 自分が得たもので価値判断する
  • 自分がどう思うか
  • 周りに何をしてもらうか、と求める
  • 環境を批評する側
  • 知識を蓄えようとする
  • 自分が何をしたかで価値判断する
  • 相手がどう思うか
  • 自分に何が出来るか、と考える
  • 環境を作る側
  • 信頼を蓄えようとする

アウトプット型人間は自己犠牲心とか無償愛が強い、という話ではありません。お金に対する対価を会社や社会に返せ、という話です。

アウトプット型人間になる心得

では、アウトプット型人間になるためには、どうすれば良いのか――簡単です。
先に述べたように、インプットはアウトプットの手段に過ぎないので、自分の思考の起点を変えれば良いんです。「○○を覚える」という目標にせずに「□□の効果を出す。そのためにまずは○○を覚える」という目標にすることです。そして「○○を覚える」を達成したところで、それは100点中50点を取ったという心構えではなく、まだ0点であるという心構えでいることです。たまに「出社しただけで褒めてもらいたい」というツイートとかを目にしますが、その考え自体が愚の骨頂ですよね…。

私の理想として、アウトプット型人間になることによって贔屓や偏見の無い正統な評価が生まれ、(「頑張っているから」という訳のわからない評価に繋がる)ガンバリズムが無くなり、結果的に働き方をも改善されるのだという方程式があります。まぁ、得てしてインプット型人間こそ労働環境へのノイズが多いイメージなんですけどね(笑)。

とにかく気を付けてもらいたいものだと思います。

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