年寄りの戯言

年寄りの戯言
インターネットに関わる仕事を始めて10余年…なんとなく、私が感じた印象として”ネットの知識がある=仕事ができる”という、少し異質な風潮があることです。2000年前後からインターネットが一気にビジネスとして登場し、リスティングの知識やアフィリエイトの知識、Yahoo!の知識、HTMLの知識と技術、イラレやフォトショの技術、SEOの知識等、様々な知識や技術等を持っている人が重宝されてきました。また、インターネット業界においては創立して10年も経てば老舗扱いされ、インターネット業界一筋で定年を迎えた社員はまだまだ少なく、業界が若いのも実情です。
かたや、20代は心身ともに充実しており、学べば学ぶほど脳みそが活性化される時期に対し、中高年になっても新しい情報を貪欲に追及し続けることは本当にバイタリティが必要とされます。ではインターネット業界においては(ネット系の企業においては)、若くてゴリゴリひたすら現場を追求する人材のみが心太式に流動していくべきなのでしょうか。

ここにはひとつ、働き方としての“心技体”があるのではないかと私は思うのです。

“心”とは

人間性ですね。協調性や他の人間を尊重し受け入れつつも、成長を促すこと。人の成長に喜びを持つこと。私が昔よく上司に言われたことは「お前は100mを10秒で走ることができると思う。でも世の中には100mを20秒かけて走る人間だっている。お前がそんな中で9秒を目指すより、皆で手を取り合って全員で15秒でゴールする喜びを知れ。」です。当時23、4歳の時の私は「この人は何を言っているんだろう。俺が9秒目指した方が良いじゃん。」と思っていました。でも、今ではあの時のことが身に染みて分かり、また貴重なお言葉をいただいたと感謝しているのであります。
ITが盛んになり、個人でもバンバン売上やお金を稼げる時代だからこそ、”心”が備わった人間がいないと(特に企業においては)間違った方向に行ってしまうのかもしれません。

“技”とは

これは技術や知識、デザインセンス等、なくてはならないものですね。勉強が大切です。でも今の時代、学生の時から勉強して知識や技術があり、新社会人の段階ですでに即戦力として、初任給が30万円を超えるなんてこともあったりします。もちろん良いことなのですが…やはり人を相手にするわけであって、PCばかりを相手にしていても…いや、ここを否定するような言い方をすると私がアナログ人間なジジイみたいになってしまうので何も言いません…技術に注力するだけでなく”心”にも注力しなさいとか言いませんよ、絶対(笑)

“体”とは

ここは、なかなか最近減ってきた「やる気」の話です。死んでもこの事業を成功させる!とか、寝る間も惜しんでやってやる!とかの、いわゆる意気込みですね。私は体育会系みたいに「努力だ!気合だ!」とは言いませんが、結果的に死んでも成功させる!気持ちになれれば良いと思っています。要は夢中になることですね。言われたからやるのではなく、自らそう思える人間はそれだけで才能があると思います。会社を一歩出たら仕事のことを忘れる、とか…ブラック企業だと言って声を荒げる、とか…もちろんメリハリや企業と個人の関係は大事です。もちろん大事なのですが、まずは夢中になってやってみることも必要なのかなぁと思います。私は昔の会社で夜遅くまで働いて、タクシーで帰ったりカプセルホテルに泊まったりしていたこともありました。お金がなくてカード決済ばかりしていたら、いつの日かカードの利用額を超えてしまい、でも会社からは経費として下りず…働けば働くほど赤になるという、馬鹿げた働き方をしたこともあります。
でも当時は夢中になりすぎてて、会社に対する感情なんてどうでも良かったんだと思います。むしろあの時のあれだけの経験があったからこそ、会社は違えど今の幸せな私があるのかなぁとも思います。やはり、人生回り回って自分に返ってくるものなんだと思いました。

心技体
やはり、この”心技体”があれば最初に申し上げた「中高年は企業に要らないのか」という発想も無くなりますし、”心”は中年以上、”技”は中堅層、”体”は若年層がそれぞれ中心に機能していけば企業も上手く回りますし、適所適材という考え方も遂行できるのかな、と考えています(あ、私は適材適所という考えではなく、適所適材という考え方で社員の配属や採用、組織を組み立てる考えでして…)。

なので、知識や理屈ばかりが長けている人間でも、いつかはバイタリティや脳みそが衰えていくわけで…”心技体”で欠けているところを回顧しながら仕事に向き合っていくべきだと、私は私自身に言い続けていく所存でございます。

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