先日のKPIの置き方に引き続き、お説教備忘録です(笑)。よく「卑屈になるな。謙虚になれ。傲慢になるな。自信を持て。」なんて言ったりしますが、仕事においてプライド――自尊心は持つべきでしょうか。そんな話について私なりに記事にしてみたいと思います。
プライドって良いの?
プライドを日本語にすれば、「自尊心」とか「誇り」とか言います。つまり、自分を肯定的に捉えることです。しかし、日本においてはしばしばネガティブな使い方をしますよね?「あいつはプライドが高い」という言葉はネガティブな印象の方が強い言い回しです。
同時にプライドは高さで定性的に計ることもできます。高ければ高いほどネガティブな印象を与えますよね。「あいつはプライドが高すぎる」のは、暗に「もっと低くあるべきだ」と言いたい要素が隠れている気がします。ちなみに、低すぎても微妙な感じでして、日常的には使いませんが「あいつはプライドが低い」という言葉はあまり良くない言い回しに思えますよね。
つまり日本語の文脈から考えると、それの高低によってネガティブな表現を使う時に登場しますので、たとえそれ自体にネガティブな要素はなくても、良いイメージがない――それが「プライド」なのかもしれません。
プライドは持つべき?
では、そのプライドは持つべきなのでしょうか。結論から申し上げると、私は持つべきだと考えています。一定のプライドが無いと卑屈な人間になります。もちろん無駄にプライドが高いのも良くないです。それは傲慢やエゴを生みます。ですから真ん中より低めのプライドくらいがちょうど良いですね(笑)。もうちょっと分かりやすく言うと、他人に気付かれないくらいのプライドを持つことが重要です。プライドを持つことは自分においては必要ですが、自分以外の周りの人間に対しては不要ですから。
しかしこれは飽くまでも生活レベルや人生レベルにおける話です。
仕事においてはどうでしょう?
プライドはどこに持つべき?
これは私にとって、徹底した持論ですが、仕事においては自分に対するプライドは不要です。全く不要だとさえ思っています。プライドは自分に持つものではありません。下手にプライドを持ってしまうと社内や取引先と不要な軋轢を生んだり、意見を受け入れられなかったりします。それどころか自分の意見を押し付け、ハラスメントに発展することだって考えられます。仕事における自分へのプライドは自分自身の感情や姿勢を硬直させます。
プライドは自分に持つのではなく、自分の成果物に持ちましょう。
モノづくりをしている人はそのモノに、営業している人は売上に、ライターはそのライティングした内容に、デザイナーはデザインしたモノに、コーダーはコーディングしたモノに、それぞれプライドを持つべきです。つまり、自分がアウトプットしたものにプライドを持つことです。
逆に言えば、プライドを持てるアウトプットをするべきでしょう。それは世間に向けて自分の名前を明記できる結果かどうか、「これこそが自分の能力の集大成だ」と言えるアウトプットをし続けることが大事です。そうすれば、そのアウトプットを良くしようと自然に思えますし、そのアウトプットに対する意見にも耳を貸せるはずです。
ちょっとした意識の転換で、驚くほど働き方は良くなると思いますので、是非意識改革のご参考に♫