社畜って…

ある方から「ブログをやってみれば?」と言われ、始めたこのブログも早4年と2ヶ月。ついに500記事目に入りました。なんとなく「SEO等の現場情報を取引先のご担当者様へ」という目的で始めましたが、今となっては誰宛の何ブログか分からず…(笑)、それでも今まで4年以上続けられました。ここまで続けられましたのもこのブログをご覧いただいているどなたかの何かのおかげかと思います。感謝です。

動物

というわけで、今回は何となく「社畜」について書いてみたいと思います(Twitterで「脱・社畜」という言葉が出ていたので、なんとなく自分なりにふわふわ書いてみようかな、と…)。

社畜とは

会社の家畜――略して「社畜」と呼ばれるこの造語は、要するに会社の奴隷化を揶揄した言葉です。自分の意思を持たず、言われた仕事を言われた通りに行い、決まった時間に出社と退社をするような…意志なく会社に居るような人を示している言葉です。この言葉は、「あいつって社畜だからさぁ」という言い方で、会社に依存している人だったり、会社の言いなりの人だったりを対象に第3者が使うことになると思いますが、はっきり言って全然良い言葉ではありませんよね。

私の勝手な予想なのですが、この言葉が生まれた背景に関しましては、迎合主義や八方美人に向かって、脱サラした人や疎外感のある人が陰口として使ったのではないでしょうか。個人的な感想として、この言葉を使う人には僻みや妬み的な要素が見え隠れしている気がします。

社畜なんて言葉はナンセンス

そもそも社畜はサラリーマンのことを指しているわけではないですし、サラリーマンは属している組織の方針に従うものですし、その方針に従いたくない人は転職して新たに従える組織を見つけるしかありません。ですので「社畜」という言葉自体がナンセンスな気もします。さらにその逆を考えても同じでして、自分で会社を立ち上げたり、フリーランスになったり、個人事業を始めたところで、会社にいた「社畜」とは違い、今度はより一層社会における責任感や自分の立場を感じるわけです。ひとりで社会に立ち向かっていくわけです。そこでは、会社内での「社畜」以上に、様々な方針や方向に合わせて動いていかなければなりません。そういう意味では「社畜(社会の家畜)」となると思います。

つまり、アウトロー気質じゃない限り「非社畜」というのはあり得ないのではないかと私は思うのです。結局どう動いても仕事をする限り誰しも会社や社会の「社畜」なわけで…それを揶揄する必要はないのではないかな、と。そこに「誰かの言いなりになりたくない」等といった、ある意味偏ったプライドを持つか否かで誰かを「社畜」と揶揄するか否かが決まるような気がします。

ちなみに、少し話は逸れますが、組織に属する会社員と経営やフリーランスとの違いを私なりに比べても以下の違い程度しか見出せません。

会社員の場合

  • 良くも悪くも会社に依存できる
  • 環境に合わせた生活や姿勢が必要
  • 最低でも短期的には給料はとりあえず貰える

経営者またはフリーランスの場合

  • 良くも悪くも自分の業績次第
  • 自分で生活環境を作っていかなければならない
  • 明日の給料は分からない

また、経営やフリーランスになったところで、自分(の会社)の発展を考慮し、自主的に売上をプールしようと思うので、自分の懐には必要最低限の待遇にするはずです。ですので、会社員であろうが経営側であろうが(手当にしろ給料にしろ)得られる待遇にそれほどの差は無いと思います。フリーになれば「朝寝坊できる」という人もいますが、その分夜遅くまで働かないと売上を上げていけませんので、結局かかる労力は同じだと思います。

最後に

だらだらと書いてしまいましたが、特例を除けば、決して1人ではビジネスは出来ません。誰かに頼り頼られビジネスは成立します。そういう意味では何かしらの「社畜」ですよね。だから、それをさもネガティブに言うことこそが間違いなのです。私の周りでこの言葉を使う人はいませんが、SNSで度々目にするので、ふわふわっと書いてみました(笑)。

というわけで、皆さま良いお年をお迎えくださいませ(笑)。

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