「盛者必衰の理をあらわす」なんて言う言葉もありますが、ここでは働き方において仕事ができるがゆえに陥りやすい長期的動態心理について書いてみます。
驕りと謙虚の違い
「驕るなかれ、常に謙虚でいろ」という考えは、働き方だけでなく、生き方全てにおいて通じます。
驕りは人を小さくします。自分をデキる人間として思い込んでいるわけなので、他人の意見を聞かなくなったり、高飛車になったり、批判したり、知ったかぶりをしたりします。最終的には勉強と成長からはほど遠いところに自分を置き、自尊心の塊になってしまうわけです。
私はこれを“出来上がっちゃったパターン”と呼んでいます(笑)。
対して謙虚にいる人は人間を大きくします。他人の意見を受け止めたり、吸収しようとしたり、質問が増えたりします。最終的には勉強と成長をするばかりか、周りからの信頼も得たりするわけです。勿論そうですよね。謙虚な人は他の人を大事にして貴重に捉えるわけなので、自ずと他の人からしてみても貴重に感じるわけです。
私はこれを“未完成ループの完成”と呼んでいます(笑)。
出来上がっちゃったパターンが出来るまで
では驕りとはどういう局面で創出されるのか。仕事においては、それが営業や売上を持ってくるセールス側であっても、制作やバックオフィスのようなコストセンターとなるインテグレーション側であっても共通して言えることですが、「自分しかできない」と本能的に思い込むようになったら黄色信号です。
例えば「これだけ自分は売り上げてる。数字を残してる。自分が会社を引っ張っているから凄いんだ」とか「このシステム改修は自分しか出来ない。自分がいなければ会社は終わる。」という、自信を通り越した傲慢さが表面化してきたら要注意です。
そもそも、そういう人間をつくらないために、上に立つ人間は「この人にしかできなくなるような業務命令」をしないようにしなければなりません。常に複数人がスキルアップするような社内スキームを構築しなければならないのですが、飽くまで”出来上がっちゃったパターン”は当人の問題ですので、ここでマネジメントの話は一旦置いておきます。
なぜ出来上がっちゃったパターンはダメか
冒頭に申し上げたように、盛者必衰です。中年や高齢になってまで売上No.1で居られるわけもありませんし、新しい技術力を持った若い人間は常に登場します。当たり前の話です。師匠を弟子が越えないとその一門や組織は衰退するに決まっていますよね。武道が良い例です。空手が未だにその強さを誇れているのも、大山倍達以上の人材が増加しているからに他なりません。下の人間は上の人間より出来るようにならないといけないのです。
にもかかわらず、”出来上がっちゃったパターン”でいる人間は自尊心の塊ですから、売上でもスキルでも自分を超える人材が登場すると「自分の地位を脅かされるのではないか」と不安になります。結果、下から登場してくる新しい存在を否定したり、自分の手柄にしたり、各方面に偉そうに振舞うことで自分の地位を確保しようと動くのです。無意識にそういう態度を取ってしまっているのですが、当然そういう態度では人望がなくなりますよね…。
対して、”未完成ループの完成”をしている人は、若き才能ある人間の言うことも素直に受け入れ、「もっとこうしてみようよ」等と盛り上げ、支えてあげます。下の人間からすれば非常に有難い存在ですし、存在が糧になります。そして、その様子は周りの人も絶対に気付きます。結果的に人道者としての評価も高く、以前私が述べた「年寄りの戯言」のように、社会人として何歳になっても支持されるわけです。
何度も述べますが、盛者必衰です。今はバリバリに結果を出したり求められているようでも、驕りが強ければいつか必要とされなくなった時に窓際方面に向かってしまいます。
心の持ち方
どんなにノっている状態であれ…いやノっている状態であればあるほど、物事や人を謙虚に捉え、今自分があるのは上下なく関わる全ての人のおかげだということを常に持ち合わせるべきだと考えています。そしてその気持ちを、40歳でも…50歳でも…60歳でも…持ち続ければ持ち続けるほど(勝ち負けではなく)色々な人に支持され、必要とされ続けるでしょう。
私が尊敬する伝説の現役MotoGPライダーであるヴァレンティーノ・ロッシという人は、自分の二面性を月と太陽に見立てます。
年収30億円を越えるほど世界的に人気者であるロッシは、ファンにとって太陽であり続けなければなりませんし、輝き続けなければなりません。でも同時に、月のように他の誰かによって輝かされているんだという謙虚な姿勢も大切にしているわけです。
本人がそう言ったわけではありませんので私の推測ですが、きっとそういうことなんだと思います。
太陽ほどの器とは言わないまでも、まずは月の精神ですね(笑)。