久しぶりに働き方についてふわふわ書いてみたいと思います。よくテレビ番組等で、「あの上司は部下の功績を自分の功績かのように上に報告する」とか「あの上司は部下を押さえつけてばかりいる」等という企業内の愚痴話を観たり耳にしたりしますが、どういうメカニズムでそうなるのでしょうか。
なぜ自分の手柄にしたがるの?
結局は保身なのですが、下を押さえつけたり、自分の手柄にしたりするのには理由があると思います。
それは…
からだと考えています。
例えば、営業数字だけを頼りに成り上がった人や、技術力だけを頼りに成り上がった上司がいたとしましょう。当然、当人からすればそれが会社におけるアイデンティティなわけですので、そこは誰にも譲りたくないわけです。
でもIT系ならより理解できる話ですが、自分より若い人の方が技術力が高くなるに決まっていますよね…。だって、子どもの頃にまだ充分なインフラが出来てなかった人と子どもの頃から充分なインフラ体制で生きてきた人では…能力の下地が違いますから。武道等でもそうだと思いますが、師範がいつまでも一番強い道場は衰退していきますよね。もっと強い人が次々と生まれてこないとその道場は弱体化します。
にもかかわらず、会社におけるアイデンティティを立場に合わせて変化していかないと、自分のスキルを超える人材が脅威になるわけです。結果、どんなに良いアイデアやプロジェクト、施策に関して、下の社員が起案しても「あぁ、それは前にもやったよ」とか「考えとしては一理あるけど、それは」とか…なんだかんだ排他的に返答してしまいます。まるで全て自分の想定内であることを誇示するかのように…。
結局は「自身のアイデンティティを失いたくない」「これで誰かに負けたら自分の立場がなくなる」という保身から生まれてくるものなのでしょう。
そういうのってどうすればいいの?
まずは当人の意識改革です。「下は上を超えるものだ」という認識を自己にも当てはめる必要があるでしょう。そして、その超えられてしまうような分野でマネジメントしてはいけないと考えるべきでしょう。例えば、部下が自分に良いプロジェクト案を起案したとします。それに対して「こういうところがダメだね」と言うよりも「良いね!良いと思う!じゃあ、次にこれをこうしてみたらどう?一緒に考えてみようか」と言った方がお互い気持ち良いですよね。部下からの起案事項においてそのプロジェクトの成功をお互いが見ている感じがしますよね。
そして、うまくいった場合の各所への報告において、当人は「彼のプロジェクト案をベースに進めていきました」という報告をすれば良いはずです。そこには「私が…」という言葉を使用してはいけません。むしろ、もっと上の立場の人からすれば、話を聞くだけで誰がどのくらいの割合で貢献したのかは透けて見えるものです。それなのに過剰に「私が…」なんて主語を入れてもあざとくなるだけなのです。
まぁ、それをできない人だから現状維持が続き、下の社員も終わりの見えないストレスが続くわけなのですが…(笑)。
ちなみに、下の社員が上司を変えるのは難しいですが、担いで担いで(ヨイショして)「私はこの分野で起案したいと考えていますので、是非○○な目線でご指導・ご意見をお願いします。△△さんのマネジメントが私のこの分野の邁進のカギですので!」的に上手く立ち回り方を教えていくやり方が良いでしょう。
投げ出さないこと
あ…私の周りで何かあったとか、私がそうだとか、そういう動機で本記事を書いたのではなく、最近テレビ番組等でこういった内容を取り上げている機会等も多く、本当にふわふわした持論をなんとなく書き連ねちゃいました(笑)。
ただ、これだけは言えることとして、たとえそんな上司に遭遇しても投げ出さないことですね。そういう人は絶対いつか淘汰されます。仲の良い友だちグループで置き換えてみましょう。そういう人は疎遠になっていくはずです。それが企業となると人数が多い分、時間がかかるだけです。
逆に「上司のせいで…」とか「あの人のせいで…」とか言っているようでしたら、それこそそんな人と同じ土俵で仕事をすることになっちゃいますので。