先日、私が尊敬する人生の先輩が仰っていたことについて、私なりに稚拙ながら解釈した事案がございました。そこで2015年最後のブログとして、ちょっとご紹介したいと思います。大晦日でちょっと実務仕事を離れ、ふとこんなことを考えてみました。
人材について
お酒の席で談笑している際に、その先輩が仰った内容は以下の通りです。
そういう意味で、上に立つ人間はどういう視点で自分の仲間や下の子を見るべきか考えてみると…確かに仕事が出来る人間は沢山いる。でも、仕事が出来る人間は外から会社に入って来やすい分、会社からも出やすい。沢山の仕事が出来る人間を見てきた。でもそういう人間はやっぱり離れやすい性質も持っている。だからこそ、仕事出来る云々ではなく、長年共にやってきたような…たとえ仕事が出来るとは言えないような人間でも、そういう仲間の方が大事に思える。苦しい時も、ずっと歯を食いしばって頑張ってきた仲間こそ大切な人材なんだと思う。
どっちの人材を大切にすべきかと言えば、仕事の出来る仲間よりも、信じられる仲間かなぁ。
おそらく長く一緒にやってきて共に成長してきた人材はかけがえがなく、逆に業務を120%こなせる人材がいたとしても、小手先の事業経営上は良いかもしれないが、信任するほどにはなりにくいということだと思います。もちろん共に仕事をしてきた時間が解決する話かもしれません。でも、得てして仕事の出来る人間は心移りもしやすく、(長く共に仕事をしてきた結果でも)やっぱり信任しづらい人材だったりするのだと思います。
私なりの解釈
微妙な解釈かもしれませんが、私なりに”業務を120%こなせるだけの仕事力がある人”を”任せられる人”と解釈してみました。要は「この事業やって」と言える人ですね。対して、”ずっと共にいられる人、いるであろう人”を”信じられる人”という解釈をしました。結果、両方を適えている人は信じて任せられる、すなわち”信任度”が高いということですね。
信任度が高ければ高いほど、要職を任せられますし、何より経営で大事な長期スパンでの計画を立てやすくもなります。たとえ”任せられる人”であっても信じられなければ、さほど重要視しない…失敗しても良いような職務や事業を依頼するのかもしれません。
そう考えると、(言葉遊びではありますが)以下のような人材の解釈ができそうです。
一応ご説明しますと、信じられないし任せられないのは”人罪”という、お互いメリットを生まない状態ですし、お互いに罪があるのかもしれません。また、任せられるけど、まだ信じきれない人は”人材”として活用できます。任せられないけど信じられる人は”人財”として(信じられるくらい努力してきた)労をねぎらいつつ大切にすべきでしょう。そして任せられるし信じられる人こそ、いつくしみを持って宝とすべき”仁財”なのかなぁ、と…。
ただ、間違ってはいけないのは、”任せられる人”は必ず心移りをする人というわけではなく、また”信じられる人”というのも、信じようとするかしないかという(判断する側の)感情もあるということです。判断する側がそもそも”任せられる人”に対して排他的な感情を持っていては何も始まりませんからね。
判断する側される側
さて、つまるところ私の解釈の上に何をすべきか…なのですが、やはり誰しもこの判断はすることがあるでしょうし、されることもあると思います。これは仕事上の上下関係だけに言える話ではないと思っています。同じレイヤーであろうとも、誰でも会社という組織の中で働いている以上、常に両方の立場にいるというわけです。
自分を棚に上げて話すつもりはありませんので、判断する側でもされる側でもこのことをいつも念頭に入れながら仕事に邁進していきたいと考えつつ、状況に応じて一長一短のこの要素をうまく使い分けることができたら良いなと考えています。いやぁ…本当に働き方って色々な意味で奥が深いものです。
それでは、これくらいにして…
皆様、良いお年をお迎えくださいませ。