20代でも「老害」に注意

今回は「老害」というものについて思いっきり持論を展開しておこうかと思います。一時期やたらと使われていた「老害」という言葉ですが、最近はあまり聞かなくなったような…。とはいえ、そもそも「老害」とは、果たして中高年を対象に使う言葉でしょうか。「今どきの若い者は…」という言葉は江戸時代の文献でも使われるほど昔から言われたりしていますが、それと同じようにただ年寄りが言うようなことは「老害」なのでしょうか。

私が思う「老害」とは

「老害」とは、そもそもGoogle検索すれば分かるように「自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪」という意味で使われています。この説明内の「老いた」という言葉から、ついつい中年以上の年齢を想像しがちですが、私はそうは思いません。
 

私はいつだって「業界や組織を廃れさせるのは、コア層やベテラン層」だと思っており、コア層やベテラン層はなにも中年だけとは限りません。20代でもコア層やベテランはいます。そして逆に言えば「業界や組織を拡大・発展させるのは、ライト層(にわか)」と思っており、ライト層はなにも若者とは限りません。
 

業界や組織の発展には、常に新しい層が必要であり、どうやって常に新しい層を取り込んでいくかが重要だと思っています。にも関わらず「にわかのくせに」とか「何もわかっていない」とか、新興勢力や新しく入ってきた人、何かにチャレンジしようとしている人を無下に否定するベテランが全て「老害」だと私は思うのです。どんな偉業を成そうが、今その人にファンがいようが、年齢が若かろうが、新しいものを無下に否定するのは「老害」だと私は思います。自分の年齢がまだ若いからといって「老害」じゃないとは限らないのです。その世界でひと通り経験したベテランならもう既に対象になるのです。
 

「そんなこと言ったら、新しいものは常に受け入れなきゃいけないのか」とか「保守派を完全否定か」とか思う人もいるかもしれません。でもよく読んでください、“新しいとか、にわかとかいうだけで無下に否定する”のが「老害」だと言いたいのです。
 

哲学や信念を持つことは重要です。でも、それを自分が貫いても結構ですが、他人に押し付けるのはどうか、と…。自分で終わる業界や組織であればそれも良いでしょう。しかし、自分無き後もしっかりと業界や組織を発展させるのであれば、常に変化や改善、新人を柔軟に受け入れ、新しい形を模索していかなければならないのではないでしょうか。変化は怖いです。イチから自分も学ばなければなりませんし、新しい人や新興勢力に舐められたことを言われて嫌な思いをすることだってあるかもしません。新しいモノを立てて、自分は少し引かなければならない時だってあるでしょう。でも、それもベテランに課せられた勇気だと思ったほうが良いと思うのです。もちろん、私もそういう意味では「老害」になっていることもあるでしょう。だからこそ、自戒の念も込めて「老害」を持論定義している次第です。

優れた経営者は新しいモノを好む

何かのデータや文献で読みましたが、一定の成功を収めている会社経営者に共通しているもののひとつとして「好奇心旺盛である」ということが挙げられるそうです。優れた経営者は固定概念や持論に固執せず、常に新しい人や新しいアイデアに耳を傾け、それを楽しんでいる人が多いですよね。
 

何かを始める際、創成期や導入期においては、自分の意見を支持してくれたり、迎合してくれたりする人が周りにいたほうがスムーズ且つ信念を持って取り組んでいけますが、その後の成長期や成熟期、落ち着いた頃になったら、新しい意見や立場を受け入れたり、取り入れたり、譲歩して考えてみたりする姿勢が重要になってくるでしょう。
 

特にSEOやIT関連において、自信を持って結果を出してきた人にとっては、目まぐるしく変化する情報や人材に対してなかなか受け入れにくい状況もあるかもしれませんが、少しでも立ち止まって「これから必要になってくる考え方や人材、リスク管理において、歩み寄りや思いやりが必要か」ということを自問してみてはいかがでしょうか。
 

最後に、ちょうど今、格闘技界でザワついている件に関して、全てに通じるような意見を(有名なプロ格闘家が)ツイートしていまして…ちょっと感動したので転載しておきます(要は「全員が優れた人になれるとは限らないから、優れた人でなくても活躍できるような環境や要素を作ることだって大事だ」という内容です)。
 

 

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